空港はいつでも騒がしい。沢山の人、沢山の別れ、沢山のおいていかれる人。今日の自分はその「おいていかれる」人間のうちの一人だ、と三上は思う。
とても後ろ向きな考え方だけど、実際に三上はここに残されていくのだ。待合室の空気は寂しさと希望で満ち溢れている。
「あと何分?」
三上は自分の腕時計を見ながら隣に座る小島に尋ねた。
「10分くらいかな」
小島もまた、自分の左手首にぴったりとはまった腕時計を見てそういった。
三上が2年前の誕生日に小島に贈った、白くて華奢な、ラインストーンのついた、腕時計。
「そっか」
なんとなく手持ち無沙汰になって、右手で空になったコーヒーの缶をもてあそぶ。
「なんつーか」
「うん」
「あっというまだったな」
「ん?」
「この2年間」
「ああ付き合ってからの話ね」
小島は自分の頭を三上の肩にのせた。
2年間。それは時に途方もなく長く感じるけどこの2年間は、小島と過ごした2年間は、三上にとって一呼吸と同じ長さだった。いろんなことがあった。
一緒にいたり、離れたり、すれ違ったり、息のかかる距離にいたり、声すら届かないこともあった。それでも三上にとって瞬きに等しい長さだった。
けれどそれは変化がないというわけではない。小島は出会ったころとまるで違う。自立して、たくましくなって、綺麗になった。洗練されてどんどん変わっていった。
いつか自分の手の届く範囲からいなくなることは最初からわかっていた。ロマンスが似合うような女ではなかったし。
「やっと付き合えたと思ったら2年経ってた」
「そっか、もう2年経ったか」
「俺はいつのまにか高3だし、お前はアメリカ行っちゃうし」
「そうね」
「やっぱ、時間たつのはえーなーって」
「・・・ずいぶん落ちてんのね」
「うるせーな」
小島がずっとそばにいるわけではない。だからといって未来の別れに怯えてびくびくと過ごすのはごめんだった。敬語は使わないくせに自分を先輩と呼ぶ小島を熟知している間は、その誘惑にかかってもいいと思っていた。小島がここにいる間は、そうしていようと思っていた。
ずっと恋余っていればいい。
「先輩は」
「ん?」
「そんなにあたしが好きだった?」
過去形で話すなよ、と呟いた。まだ終わってはいない。スタートは切っていたがまだ終わってはいない。終わらせるつもりなんか全く三上にはなかった。
自分と小島の体が離れるだけだ。手が繋げないだけで、お互いの熱情が消えて無くなるわけではない。
あなたの姿が見えないからといって、あなたを想わないわけではない。
「じゃあそんなにあたしが好き?」
「好きだよ」
好きだ。他人と比べるなんてくだらないと思うけど、誰よりも好きだと言いたかった。
「そう」
小島はまっすぐに前を向いたまま答えた。三上の目は、見ない。
「お前は?」
「すきよ」
「そっか」
その凛とした声に偽りはなかったし、それが彼女の正直な気持ちなんだろう。
海の向こうに行くことも、そこでサッカーをすることも、全部小島の決断だ。自分が口を挟む余裕はなかった。
好きなひとは揺るがない信念を持っていた。
「ありがとう」
小島は立ち上がって、一歩進んでから言った。やっぱり三上の目は見ないままで。
「なにが」
三上もつられて立ち上がる。
「全部よ」
小島が振り返った。顔だけじゃなく体ごとひねって。やっと小島は三上の顔を見て言葉をしゃべった。
全部よ、先輩の全部。今ね、あたしはすべてに感謝したい気分なの。あたしに関わった全ての人たちと全ての出来事にありがとうっていいたいの。
「先輩はその代表」
先輩はぜんぜん優しくなかったし、ぜんぜん甘やかしてもくれなかったし、何も教えてくれなかったけど、先輩はずっとあたしを好きでいてくれたし、あたしも好きだったから。 やっぱりありがとう。
「・・・別れてなんかやんねーよ」
遠回しに小島がそれをほのめかしているような気がして三上はそれを遮った。
まだ自分は好きだ。たとえ、離れてもきっと好きだ。その確信が三上の中にあった。
「そんなことは言ってない」
「けどそう聞こえた」
「違うわ」
「でもそうゆう終わりみたいなこと、言うな」
頼むから、言うな。
「俺はしつこいぞ」
この2年間でわかってると思うけど、もう一回言っとくからな。俺はしつこいからな。俺は欲しいものは手に入れるタイプだ。全部な。やりたいことはやるやつだ。俺が知ってる小島有希ていう女もそうだ。サッカーも俺っていうすっげーいい男も全部手に入れられるすっげーいい女だ。
「・・・・うわー・・・」
「ほんとのことだし」
だから俺はここにいるよ、あなたが戻ってくるまで。 あなたがここに帰ってくるまで。
「いってくるね」
肩から下げたカバンを抱えなおして、小島は背筋を伸ばした。
「有希」
「なに?」
「最後に抱きしめさせて」
小島は大きく笑った。三上はその体に手を伸ばした。
彼女の肩越しに見える風景はいつも鮮やかだった。
お願いだから何も変わらないで。そのままでいてくれ。あなたの感触はこの腕に焼き付けておくから。

小島は歩き出した。大きな歩幅で歩き出した。三上はその背中を黙って見送った。
すると、小島は突然振り返った。
「先輩!」
「なに?」
「ラブレター待ってるからね」
それだけ言って、小島は出国ゲートの向こう側に消えた。
バーカ。 三上は、一人で笑った。
空は快晴、雲ひとつない。たくさんのものに祝福されて、彼女は旅立った。海の向こうの遠い国へ旅立った。
俺もがんばんないとな。
すげーいい女に見合うすげーいい男になるために。





アフター ザ ロンググッバイ





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